2007年12月31日
「 初めに偽装国家と言い出した人が、この人“勝谷誠彦”さんです。 」

勝谷誠彦の××な日々・2007年12月31日号から・・・
<「偽」で暮れたこの国を来年「棄」の国にしないために「曝」こそ次のキーワードにしよう>。
4時起床。
私が書いたものではじめて原稿料を貰ったのは19歳の時だった。忘れもしない、「みのり書房」の少年愛雑誌からである。15歳の時に書きおいていた小説を持ち込んむと、すぐに掲載してくれたのだ。
それ以来、もう28年間も、モノを書いて食べさせてもらってきた。
遠い目で昔を見ているのは、今年という去りゆく1年について触れようとしているのである。
今年は、はじめて自分の本が売れた年だった。
28年間やってきて、ようやく「単行本を出すことでなんとかご飯が食べられる」という、モノ書きとしては一年生のステージに立つことができたのだ。
そういう意味で、ようやく社会人になったかのような感慨がある。ありがたいことである。
モノ書きがどうやって飯を食っているのかということは、真っ当に地道な人生を送っている方々にはなかなかわかり辛いだろうから、説明しよう。
すぐにお金になるのは、雑誌の原稿料だ。最近ではこれに、ネットで書いたものへの対価も加わってくるだろう。
しかし、私のように古いタイプのモノ書きからすれば、こういう収入はフリーターが時給でもらっているような感触がある。やはり、まとまった本になって、それが売れて印税を頂戴するというのが、モノ書き業界において正社員になったという感じなのだ。
これまで30冊ほどの本を出しているが、私の本というのは本当に売れなかった。こんなことを書くと、今後拙作の出版を躊躇する版元が出てくるといけないのだが、ようやく売れはじめたのではしゃいで書くのである。
自分で言うのも何だが、私の単行本というのは、恐ろしく手間とカネがかかっている。エベレストから南極まで行った話に、中判カメラでとった写真をつけているのである。編集者も優秀な人が多く、本としてはよく出来たものであった。
しかし売れない。
では、何が売れたかと言えば、共著本であった。西原理恵子さんとの『鳥頭紀行ジャングル編』だったり、不肖宮嶋とのゴースト本だったり。
これは、売れた。どえらく売れた。しかし、売れるたびに、私というのは一体何なのだろうと、かなり忸怩たるものがあった。編集者としてプロデュースをしているわけだから、それは喜べばいいんだけどね。
そのあたりがモノ書きとしての屈託であり鬱屈なのだ。
ところが今年は『偽装国家』がまず売れた。
http://www.amazon.co.jp/dp/4594053084
扶桑社新書の創刊ラインナップに入れるべく、かなり無理して作った本だったのだが、創刊シリーズの中でいちばん売れた方だという。
先日出した『偽装国家II』も好調のようだ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4594055648
扶桑社の出版物の中では今現在いちばん売れていて『象の背中』を上回っているという。
モノ書きとしてフラフラとこの業界で飯を食い始めて以来、秋元康さんというのは、「うらやましい」の限りの存在であった(笑)。
歳の暮れだからうんと俗なことを言ってしまうぞ(爆笑)。アイドルと結婚して、やることいちいちが大儲け!いいな~と思っているのが、同じ業界に棲んでいるほとんどの連中の率直な意見ではないでしょうか。
その秋元センセイの本を一瞬たりとも売り上げで上回ったというのは、今年最後のカイカーンである(笑)。
更に意外なジャンルで『知られてたまるか!』だ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4901908324
これまで結構こうしたお店紹介本を出して来たし、ミシェランなんぞよりはずっとレベルが高いと思っていたのだが、なかなか重版はかからなかった。
しかし、これもようやく関西では『ホームレス中学生』に次ぐベストセラーになった。
めでたい正月に向かう最後の号なので、勝手に景気のいい話を続けさせて下さい。ちなみに言っておくなら、金銭的に景気のいい話ではない。単行本がいくら売れたからといって、そんなに収入にはならない。
そのことに必要だった労力や経費や、かかわった人々のことを考えると、なかなか単行本だけでは食べていけないのが現実だ。明治時代の作家たちとは違うのだ。
と言いつつまだ言祝ぐならば、『彼岸まで』が刊行され、新人作家の四六版の小説本としては珍しく、重版がかかったことも嬉しかった。
http://www.amazon.co.jp/dp/4334925456
もしまだ読んでおられない方で、お正月に何を読もうかなと思っておられる向きは、ぜひ手にとっていただければと思う。
来年は、もっと小説を書きたいと思っている。もちろん『天国のいちばん底』を完結させるのは忘れずに。
まだまだ書く(笑)。
右翼からは左翼、左翼からは右翼と言われる私だが、モノ書き業界で見ても、コウモリというか鵺のようなものだろう。
『偽装国家』シリーズと『彼岸まで』が同じ著者であると、たまたま読んだ人にはわかるまい。だとすれば、この本もまた、私と初めて出会う人には、不思議なものと感じられるだろう。しかし私の古い読者の方は、これこそが勝谷誠彦であると思っていただけるに違いない。
『朝湯、昼酒、ローカル線』
http://www.amazon.co.jp/dp/4167713209
これが不思議なことに売れた。JTBから出た親本はそうでもなかったのに、発売して一週間経たないうちに重版がかかった。
ちなみにさっきから増刷とか重版と言っているが、それは私のささやかな部数の中であって、ケータイ小説とやらのケタとは二つくらい違います。
視聴率をとるか視聴質をとるかということにつながるが、私は、私の本というだけで買って下さる方々を含めて、まことに誇りに思う。
やっと、そういういくらかの集団を読者として感得できるモノ書きになったのかな、と思えたことが、今年の最大の収穫だった。ここまで、プロになって28年かかっかわけである。
しかし、伝統芸能にしても技術にしても、そんなもんなんだろうな。
私はかなり早熟だった。モノ書きとしての技術の基本的なことがなぜか天性としてあったので、19歳からカネをとれたのである。
しかし、そのあと、本当に必要とされることが身についた、今年はそのはじめての年だと思われる。
これはさまざまなことに言えるのではないか。
なにかをなそうとする時に、いちばん難しいのはその扉をあけられるかどうかだ。語学学校をはじめとする業界は、その不安を煽る不安産業として成り立っている。
しかし、私が言うならばそんなものは「やってみること」なのだ。「やってみる」ならば、そこには自分の能力の欠如や、対象が持っている障壁が見えてくる。見えれば何をすれがいいのかを考えるのである。
不安産業はその障壁ばかりを漠然と見せて、オノレのカネにしようとする。
しかし自分の目で障壁を見ずして、どういう武器を手に入れようというのか。
私ごとから書いてきたが、今年という一年を総括する意味で、このことを書き置きたかったのだ。
「何が起きているのか」を私たちはまず知らなくてはいけない。
年金問題では、その収支は結局どうなっているのか。帳簿を見せよ。誰もそれをし得ていないではないか。
薬害肝炎は、どれほどの人がいて、どれほどの資料が廃棄されているのか。
『偽装国家』やその続編が売れたのは、私にはありがたいことこだが、国家にとっては嬉しいことではない。しかし、人々がやっと国家そのものが偽装していることに気づいたならば、私のささやかな本の価値があったということになる。
来年はこの偽装国家にすべての収支決算を出させる年である。
昨日、大阪府がいかにそれを隠していたかを書いた。日本国も同様であろう。
役人どもが隠蔽してきたすべての収支決算を出させるのだ。何がこの国で起きているのかを知るのだ。
それはとてつもなく怖いことかもしれない。しかしそれを知った上で、私たちは何ができるのか。あるいはもはやできないのか、を知るべきだ。
「偽」が今年の文字だという。私はもはや「棄」であると書いてきた。
しかし「偽」と「棄」の間に、私たちは「曝」という時をはさまなくてはいけない。
すべてをまずは「曝」くのである。
「曝」という字にはふたつの意味がある。「さらけだす」と同時に「追い出す」だ。
すべてが「さらけだ」されたあとに私たちがどういう連中を「追い出す」べきか。
まずはそのための心の準備を、この歳の暮れにしようではないか。
来年が、あなたやあなたや、私たちにとって、いい年でありますように。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
(c)2007 勝谷誠彦、katsuyamasahiko.jp All Rights Reserved.
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
◎「勝谷誠彦の××な日々」は月額875円で毎朝読むことができます。
詳しくは、勝谷誠彦ホームページをご覧ください。
http://www.office-kouhei.jp/mt/mt-tb.cgi/1149

